11.21.2015

バロックヴァイオリン 04 指板

haja&Chi
イタリア ヴァイオリン チェロ 作家
永石勇人 清水ちひろ

誰かがいった。。
楽器は軽い方がいい・・・

 最近の研究でもオールドイタリアの木材は密度が低いと。


 しかし、いつからでしょうかヴァイオリンにアゴあてをつけて。。身体をこわした巨匠が肩当てを開発して。。鉄弦になったためにアジャスターをつけて。。。巻き線で指板が凹むために削れるように指板を全部黒檀にかえて・・

 ヴァイオリンは歴史的に一度も軽くなったことなどありません。
そう、誕生したときが一番かるかったのです。
もちろん音がちがいます。音も軽くなります。明るくなります。

 バロック後期までの指板は比較的短く、目安として弦長の3分2から4分3ぐらいです。
  そして指板自体かなり軽いです。



メディチ家の絵画 当時としては長めの指板
描かれた年代からアマティのヴァイオリンの可能性も・・

 もとの指板はどこに?といいますと19世紀に残っていたオリジナルの指板ですら交換されてしまいました。
 今はどれも各国の博物館でのみみることができます。

 
あらたに作ったヴァイオリンの指板
2mm厚の黒檀が熱で曲げられて接着される

 当時から使用頻度の少なかった、テノール・ヴィオラ、ポシェット、5弦チェロ、ヴィオリーノ・ピッコロ、装飾楽器にはオリジナルの指板がそのまま残っていることも多く大変貴重な資料です。300年以上前の木工製品ですから本当に珍しいものです。


 
アマティの2代目。Antonius&Hieronymus Amatiのオリジナル指板


 作り方は色々なパターンがありました。クレモナのなかだけでも年代、楽器のオーダー元?によって作り分けていたようです。
 とにかく中を柳、フルーツの木で作るのが一般的で今の指板に比べて30%以上かるくなります。楽器の重心がかなり手前にくるので持ってみると予想以上に軽く感じるはずです。


小生が気に入っているスタイル
側面にメイプルを張り合わせたスプルースに黒檀を貼付ける。
4つの木からなる指板。軽くそして、意外に強い。

永石勇人

11.15.2015

クレモナのサント・オモボノ教会

haja&Chi
イタリア ヴァイオリン チェロ 作家
永石勇人 清水ちひろ

 イタリアの各都市にはそれぞれゆかりの聖人(イタリア語で”SANTO”サント)がいます。

 有名どころはローマのサン・ピエトロとサン・パオロ、ベネツィアのサン・マルコ、ミラノのサンタンブロージョ…。
それぞれサントの日が定められ、各地でその日は休日扱いです。


こちらは普段の教会の様子。鉄格子で扉が閉ざされています。

 クレモナの聖人の名はサント・オモボノ。11月13日がオモボノの日です。この日は学校も仕事もお休みで、普段閉めているオモボノ教会が一般公開されミサが行われます。
昼のミサの模様

 オモボノは中世12世紀クレモナで盛んだった職業の一つ羊毛商人で既婚者、子供も二人生まれたそうです。仕事は順調だったらしくかなり財をなしたとか…。
彼自身は何も書き残したり言い残したりしていないのですが、その財産を当時貧しかった人や不幸のあった家庭、幼い子供の慈善事業のために使います。
その功績をたたえて死後わずか2年未満のうち、カトリック教会より一般市民として初めて列聖されました。
今ではクレモナの街だけでなく、『商人』『仕立て屋』の守護聖人としてまつられています。
12世紀には街の聖人だったオモボノさん…その後活躍したアマティやストラドなども彼のためのミサに参列したり、ご遺体に花を添えたりしたのでしょうか…。現在ご遺体はクレモナのドゥオーモ主祭壇地下に眠っています。
 私はお昼のミサの時間にオモボノ教会に行ったのですが信者さんが老若男女来ていました。普段はお隣のサンタゴスティーノ教会でミサの手伝いをしているおじいさん&聖歌隊、高校生はクリスマスくじの販売のお手伝い、奥様達は持ち寄りの品でバザー開催と地元の人の和でオモボノの日を大切に過ごしているのが伝わります。
主祭壇。ミサ後は聖歌隊やミサの手伝いをした人達に挨拶をする信者さんたち。
教会脇の小さな回廊ではシニョーラ達によるバザーが開催されます

教会自体は小ぶりですが、ファサード前に広がる石畳はとても可愛らしいです。元々は聖人アエギディウスをまつった教会でした。起源は7世紀とのことですからかなり土台は古い教会です。数年前に外壁の修復作業が行われ外観はきれいになったのですが内部のフレスコ画は痛みも目立ち、天井にひびもたくさん入っています。
天井のフレスコ画。

 はやく内部も修復されますように…と願いつつ回ってきたお賽銭袋にほんの気持ち入れました。




清水ちひろ

11.12.2015

耳をすませば

haja&Chi
イタリア ヴァイオリン チェロ 作家
永石勇人 清水ちひろ

あのジブリの名作です。

 クレモナは歴史的には農業がささえたまち。少しのセメント、鉄鋼業が近代の産業でした。いまでもトウモロコシ畑や豚、牛が有名ですが町のイメージおこしとしてヴァイオリンが取り上げられたわけです。
ストラディヴァリの工房のあった町。
そして珍しくジブリに名前が出てくる実在する町です。


ファンが作った観光マップ。
地球屋のかたちのポストが横にあります。

 かたや映画の舞台はといいますと小生も最近知ったのですが京王線の聖蹟桜ヶ丘なんだとか・・・というわけで行ってみました。







 駅ビルも大きくさすが京王線沿い。年齢層も若い人が目立ちます。

 桜ヶ丘は高級住宅地。奇抜な形やガラス張りのデザイナーズハウスが立ち並んでいました。





 街全体はおちついたのんびりした雰囲気。映画の中でもよく坂を上り下りしているイメージがありますがまさに坂だらけ、移動に一苦労です。。

川沿い 
犬の散歩、カップルで散歩をする人がちらほら・・ 左手上に耳丘。

 夕暮れ時は買い物や帰宅途中の人々がわらわらと・・。都心とはひと味違う、まさに映画のオープニング、エンディングそのままです。


今では、フェンスが置かれて無茶ができないように・・右手奥に新宿のビル

 一番有名なプロポーズの場所。桜ヶ丘で新宿のビル群が見えるのは一カ所だけだそうです。
 


 そして杉村くんが告白した神社。本当にそのまんま・・・平日でも何組もの恋人がおとずれていました。

ふられた場所なのに、なぜか縁結びな感じに?


 そして憧れの地球屋。邪宗門にはたどり着けませんでしたが、桜ヶ丘の奥にロータリーがありました。思ったよりあっさりしている感じです。

おじいさんのいる骨董屋。。今の東京にあるのでしょうか。


 今回桜ヶ丘を訪れるにあたって何回も映画をみて、昔のイメージとちがって見えるのに驚かされます。
受け取る側がかわっていってしまうのですね。

 劇中で聖司くんのキザな言葉、おじいさんの語りより的をいたセリフ。
ジブリが伝えたかったメッセージがここに!・・と今更ながら気づきました。

”でもな、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。” (お父さん)

さらに、

雫『クレモーナはどうだった?』

聖司『見ると聞くとは大違いさ!』

hajato