3.24.2013

モッツィア〜モ ラ モッツァレラ!!

haja&Chi
イタリア ヴァイオリン チェロ 作家
永石勇人 清水ちひろ

Mozziamo la mozzarella!!

 クレモナ近郊に位置するStagno Lombardo(スターニョ・ロンバルド)にある酪農家、兼チーズ工房Cascina Lago Scuro(カシーナ・ラーゴ・スクーロ)を訪ねました。


市場に並ぶ自家製チーズ


 朝、8時30分にご主人が待つ市場で待ち合わせ。街中に直営店もあるのですが、週に2度クレモナの郊外にたつ市へチーズやパン、サラミ、小麦粉、ヨーグルト、卵などを持って来ています。全ての品の原材料は”ビオ”と呼ばれる有機栽培、有機飼育されたものであることがここの商品の特徴です。





 ご主人の車に揺られること10分、大きな酪農場に到着です。入ってすぐに私達を迎えてくれたのは中庭を占拠する約100羽の鶏でした。網が張ってあるのですが、そんなのお構いなしにあちこち行き交う鶏たち。
 息子のルカいわく『うちの鶏はどうやら飛ぶことを学んだらしい。』。

建物は古く1600〜1700年代のものだそうです。右にあるのはロゴにも使われている塔です。


 白衣と帽子、長靴を借りていざチーズ工房の中へ入ります。そこにはすでに凝乳酵素の入った生乳が大きな2つの鍋の中で温められていました。この鍋一つに約150リットル以上の生乳が入り、約30キロのチーズが出来上がるそうです。一つの鍋を満たすにはだいたい牛二頭から絞った生乳が必要だとか。今日はこの二つの鍋で温めたチーズのもとからモッツァレラとスカモルツァの2種類を作ることになりました。暖まった生乳を鍋の中で一度細かく切ります。
『トーフみたいでしょう?』とお父さん。それをさらに温め、チーズを伸ばす時に使うお湯、成形する時の水の準備もします。

 
愛嬌いっぱいの黒豚ちゃんたち

 チーズを再び温めている間、ルカに農場の中を案内をしてもらうことになりました。工房を出てすぐにいるのは珍しい黒豚モーロ・ロマニョーロです。昔はイタリアで30万頭以上飼育されていたそうですが現在ではその数もすっかり減りかなり貴重な品種になってしまいました。こちらの農場ではこの豚肉を使ってサラミやパンチェッタ、クラテッロを作ります。





サイズ、声、食欲どれをとっても大きな牛たち

 母屋にはレストランも併設してあり昔から家庭で作ってきた料理を自分たちの作った野菜やチーズ、ハムと一緒に提供しているそうです。地下にはカンティーナと呼ばれる食物倉庫があり、こちらでチーズやサラミの熟成をさせます。
 母屋脇には昔修道院として使われていた建物を利用したB&Bがあります。食堂には昔使っていた薪釜が今も残っています。
裏庭には畑が広がり、その奥にこちらの農場の名前の由来となる湖Lago Scuroがあります。ぐるりと回って工房手前にある牛舎では食事中の牛と遭遇しました。


カンティーナで熟成されるチーズたち…


~・~


このチーズはお父さんの顔の高さまで伸びます!
 
 再び工房に戻るとテーブルには釜から出したホカホカの二つの大きなチーズのもとが用意されています。酸味とチーズの伸び具合をお父さんとルカでチェックしたらチーズをスライスしていきます。

 切ったチーズのもとは木の桶の中で手で裂いて、93度のお湯を投入し木べらで伸ばしていきます。
「よいしょ!!」チーズはかなり重いです。



 



 そこでルカが『さぁ、この桶と木べらで混ぜてみて!』と急遽チーズ作りに参加することに!?


左からトーフ状のチーズ、モッツァレラ、紐でくくったスカモルツァです。


 充分に伸ばしたチーズを適量手でちぎり、水槽の中へ。それをベースボールくらいの大きさにちぎったら紐でくくり、棒に結べばスカモルツァの出来上がりです。一方のモッツァレラは二人掛かりで手でちぎっていきます。お父さんと姪ごさんが息を合わせて進めるこの作業、チーズの名前の由来はmozzare(モッツァーレ)『切り離す』という意味の動詞からです。
 一連の作業を終えるとちょうどお昼。お世話になった皆さんに挨拶し、市場で働く奥さんを迎えに行くお父さんの車に再び乗って市内へ帰ります。
 最後にお父さんより今日自分たちが一緒にちぎったモッツァレラとスカモルツァを頂きました。



市場にて皆さんと一緒に記念撮影


 とても貴重な体験をさせてもらいました。
 次はぜひ『クレモナサラミ』作りを見学したいと目論む我々です。

頂いたフレッシュスカモルツァと袋に入ったモッツァレラ&卵




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AZIENDA AGRICOLA BIOLOGICA LAGO SCURO
ラーゴ・スクーロ有機酪農場 


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3.17.2013

笹野さん Meilleurs Ouvriers de Franceの弓職人


haja&Chi
イタリア ヴァイオリン チェロ 作家
永石勇人 清水ちひろ



 フランス・ニースで活躍する日本人弓製作者の笹野光昭さんの工房を訪ねました。


 クレモナを発った頃は雪に覆われた農地も、ニースでは街路樹のレモンやミカンがたわわに実りミモザの花は盛りを迎えていました。ニースの山の手、クリーム色の二つの塔がある建物の最上階にある笹野さんのアトリエは、丸窓からは海、反対の窓からは山が見え、作業場には天窓があり常に光が差し込む空間でした。




「海とニースの街が一望出来るんだよ。」とご自慢のアトリエを案内、説明して頂き、質問タイムはご自身が設置した対面キッチンにて美味しいコーヒーを頂きながら楽しいものとなりました。












 作業場はドーム型屋根の中。笹野さんが直してニスを塗った螺旋階段をのぼります。「楽器作りと違って弓作りはそんなに広いスペースが必要ないからね。」と笹野さん。直径4m程の円形の空間で道具は自分の手の届く所に整理され、どれも皆いつでも使えるよう手入れされています。アメリカで買ったお気に入りの木製道具箱は抜群の使いやすさだそうで笹野さんの右足下にスタンバイ。作業台自体も楽器製作とは違いヴァイオリンの弓+αの横幅でコンパクト。




工具類は自分の道具を作ったりするのにとても便利とのこと。お手製の道具も多々あり、「自分の使いやすいものじゃないとね。」とのお言葉に深く共感しました。



ん?ナイフの柄が黒い…「黒檀です。端材でね。」こっちのノミの柄も…「自分で作ったものに2本線をいれてるんです。」う~ん、渋くて格好いい!









 行き届いた整理整頓、自分に合った道具へのこだわり、こういう所「自分も見習わないと!」と改めて考えさせられました。
 職人として大先輩にあたる笹野さんですが、とても気さくな方で弓制作には素人の私にも仕事の細かい事からドイツ~アメリカ~パリで働いていた頃の事など色々話してくださいました。









 今日も柴犬『たきび』ちゃんとニースの街を行く笹野さんです。





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(2013.3.5 KSIMA投稿)

3.11.2013

ヴァイオリン・チェロ材を求めて・・

haja&Chi
イタリア ヴァイオリン チェロ 作家
永石勇人 清水ちひろ

 2012年の初夏にオーストリアのブリゲンツ山手にあるリーフンスベルグと、ドイツはミュンヘン近郊のマークインダスドーフにある弦楽器専門の材木屋さんに楽器づくりの仲間と一緒に買付けに行きました。

オーストリアの製材所、高床式になっていて一年を通し
風が吹来抜けるようにブラインド式の窓が並ぶ

 

買付けの主な目的はカエデ材です。
表板はイタリア産のスプルース(アルプス山脈より南側のもの)を使うのですが、裏板、横板とネックに使われるカエデはスロバキア、チェコ、クロアチア、ボスニア、ルーマニアなどから各地の製材所に渡りイタリアに入ってきます。
そこでまとまった『量と質』を求めて製材所まで直接買いに行く事になりました。





 彼らは各地の良質なカエデを丸太で買い、基本的には丸いケーキを切る要領でカッティングします。
このケーキ型に切ってあるものを基本的には使うのですが、400年前の先人達は丸太をこれとは別に短冊状にカットしたものと、その中間にあたる材の3パターンの切り口を使っていたようです。
特にネック材は今でこそ木目が深く多いものを使いますが、彼らは逆に木目の少ないものを好んで使い、ネックが持つ本来のラインの美しさをより際立たせたかったのではという考えもあります。
楽器の見方が今とは少し違ったという一面です。


ヴァイオリン制作の名門校ミッテンヴァルトも近いドイツの製材所
 さて、カットされた木材はすぐに売りに出すのではなく製材所にて少なくとも2、3年外気に触れる場所でねかせ、その後室内に保管すると言っていました。カットしたばかりの木は水分を多く含んでいるため突然の環境の変化でひび割れる恐れがあるからだそうです。

 私達が裏板を吟味している間もドイツの製材所ではお兄さんがチェロの裏板の写真を次から次へとデジカメで撮影。インターネットの普及とともに材木の通信販売も今となっては当たり前のようです。








〜・〜

チェロ、ベース用の木は樹齢50年を超えるものも多くある
 
 家族経営のオーストリアの材木屋さんでは自家製バーベキュー台を発見。
 「残りはベース材として売ったんだ!」とのこと。納得の大きさです。





持ちつ持たれつの材木屋さんと私達。どちらの製材所も毎秋クレモナで行われる弦楽器フェア「モンド・ムジカ」に出店するので、再開を約束して写真撮影。写真は無事昨秋のフェアにてわたすことができました。





 材料も手にしたことですし後は身体を動かすのみ。
 さぁ、作ります!




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3.03.2013

2. Viola Tenore(ヴィオラ・テノーレ)


haja&Chi
イタリア ヴァイオリン チェロ 作家
永石勇人 清水ちひろ


 さて、今回はただいま制作中のヴィオラ・テノーレについてです。

 現代のヴィオラはかなりスタンダード化が進み調弦(CGDA)は固定、そしてサイズも小さいものでも箱39cm大きくても43cmと違和感のない大きさに落ち着いたように思います。
 ところが元々意図して作られたこの種の楽器は最大48cm(70cmを超えるものもあるという記事もみましたが・・これはヴィオロンチェレットとでもよべるような)ものまで存在した音優先の楽器でした。箱48cmですと最も小さいチェロ(45.8cm)よりも大きい事になります。



Viola Tenore Andrea Amati(1564)
出典:musical instruments in the ashmolean museum 

1600年代ヴィオラは3つのスタンダードがあったようです。


●現代のヴィオラに近いヴィオラ・コントラルト(CGDA)
●高いヴィオラ・テノーレ(CGDA)
●低いヴィオラ・テノーレ(FCGD又はGDAE)

 ヴィオラ・テノーレはトレッリやコレッリを代表するように17世紀にはままあるパートだったようです。本来同じ音域であるのに味の違う音を求めクゥアルテットやクゥインテットに盛り込んだ音への執着はバロック期ならではの感性ではないでしょうか。




Gasparo da Salo'
出典:M.I Ashmolean Museum



 1500年代ヴィオラに名器の多いガスパロ・ダ・サロも小さいもので箱39cmのヴィオラを残していますが、それとは別に箱45cm以上のヴィオラ・テノーレと呼ぶべき楽器も残しています。
もちろんクレモナ派もヴィオラ・テノーレを手がけてきましたが、1700年に入りほぼ作られなくなってしまったようです。






 現存するヴィオラ・テノーレは有名どころではアマティの他ヤコブ・シュタイナー、アンドレア・グァルネリ、そしてストラディヴァリのものでしょう。そしてその多くが保存状態が良い事にあります。

 ヴィオラ・テノーレはその大きさ故に1800年代に現代向けにとネックを切り取られずに手つかずのまま残っているものが多く博物館にそのまま保管されています。これは当時の楽器を知る上で最重要資料になり、先人達のイメージをダイレクトに感じる事が出来ます。

 

Antonio Stradivari(1690)
出典:strumenti di Antonio Stradivari



 特にストラディヴァリのヴィオラ・テノーレは1690年前後にトスカーナ公国のフェルディナンド・メディチのためにつくられた気合いの入った作品で、年代から見ても彼本人が制作している可能性が高く、昨年度話題になったヴァイオリン”レディー・ブラン”やイギリスにある”メシア”よりさらに完全な姿で生き残っています。指板の下に薄いクサビが入れられたもののペグ、テールピース、指板、バスバー、駒・・全てのパーツが323年たった今もそっくりそのまま付いて残っています。面取りの黒縁、ニスの摩耗やコーティングもほぼなくタイムカプセルに入れられた様な楽器です。メディチの人が練習をしなかったおかげです。

 これはソプラノ(ヴァイオリン)2本、ヴィオラ・コントラルト、ヴィオラ・テノーレ、バッソ・ディ・ヴィオロン(チェロ)構成のクゥインテットの一つとして制作され、うち2本はフィレンツェのミケランジェロのダヴィデに向かって右側の部屋に展示されています。
 
箱の上下を改造され普通のヴィオラ
サイズ(415mm)にされた小さく
なったヴィオラ・テノーレ


Antonio e Girolamo Amati(1595)

出典:il DNA degli Amati




 ブラザー・アマティは小さめのヴィオラ・テノーレをいくつか制作したようですが、19世紀に箱を切って小さくされて今では普通のヴィオラとして弾かれています。ヴィオラの頭が大きすぎ、プロポーションがおかしくなっているものが多いはずです。
 また多くのヴィオラとくにヴィオラ・テノーレに見られるペグボックスの段差は1600年代後半まで巻き線が普及せずペグに巻いた時点でかなりのボリュームになってしまっていたためです。特に裸ガットのCG線の太さは2mmを軽く超え、当時長めに作られたガット弦はペグボックスより外に飛び出すように束ねられることも多くこれをスムーズに入れるためにチェロの様なヘッドが好んで作られていたようです。

 







 

 下のシルエットはヴァイオリン、ヴィオラ、テノーレの大きさを比べてみたのもです。



ヴァイオリン(355mm) ヴィオラ(415mm) Vlaテノーレ”アマティ”(469mm) Vlaテノーレ”ストラディヴァリ(475mm)




 そして近年このヴィオラ・テノーレをヴィオラ・プロフォンダとしてプロデュースしている作曲家や演奏家がいるようです。楽器自体は”低いテノーレ”の調弦(FCGDまたはGDAE,A=440Hz)ですが横板を若干高くしチェロとヴィオラの間の子ような音を作り出しています。






 日本にはもちろんまだプレーヤーはいませんが、もし興味のある方、テノーレもといプロフォンダ奏者になってはみませんか?

haja&Chi工房ではすでにはじまっています。