2.10.2013

ヴァイオリン誕生の地




 北イタリアは歴史的にも多くの楽器製作者を輩出し、特にパダーナ近郊の製作家はその16世紀以降ルネッサンス・バロック音楽の発展にともない着実に進歩していきました。
 16世紀にはじまり特にクレモナは17世紀より楽器製作の黄金期をむかえ、その後350年以上たった今でも大きな影響力をもっています。

 さてクレモナの弦楽器製作創始者アマティ、アンドレアが16世紀のはじめに考案したと考えられるヴァイオリンは起源をラバブという共鳴板が革張りに5度調弦のアラブの楽器にもち、ヨーロッパに入り木製のリベーカとなって今にいたりました。リベーカのようにアンドレア・アマティの初期のヴァイオリンは三弦であったかもしれないそうです。と、ここまでは小生も学校で教わりましたがクレモナとのつながりは謎のまま・・通説ではムーア人(モーロ)がスペインより持ち込んだリベーカがヴァイオリンの元になったと・・・

Cantigas de Santa Mariaにあるウdとラバブ



 ところが2008年にシカゴで催されたコンファレンスにてヴァイオリン発祥の大まかな筋書きが話題になりました。
 ユダヤ教歴史学者ボンテンピはアマティが元々のイタリア半島の人ではなく当時ユダヤ教にあったカザールの末裔であると主張しました。
 

 まずはローマ帝国より1000年間、イタリア半島ではローマの道の一つである”ヴィア・ポストゥーミア”と呼ばれる街道を多くの民が行き来していたようです。この街道は紀元前148年に敷かれ、地中海の重要な港であるジェノヴァからアドリア海側はヴェネツィアが起こる場所より北東にさらに上がったアクイレイアまでイタリア半島を横断し、当時主要だった町々を結んでいます。
 

ローマの重要な街道の一つであるポストゥーミア


カザール国家の勢力範囲

 7世紀から10世紀、カザール(ハザール)はカスピ海近郊にかけて支配したテュルク(トルコ)系の遊牧民族の国家であったそうです。9世紀にユダヤ教を受容したものの市民階級では受け入れは遅れたためイスラム教も混在する結果になりました。
 9世紀、この道を通り移民して来たのがカザールを含むハンガリー人です。スラブ人に追われ、カザール人は東ローマ帝国(ビザンチン)やハンガリーに受け入れられイタリア移住の中に加わることになったようで、イタリアに入り落ち着いた場所がいまのガルダの湖畔であったようです。ここに腰をすえたカザール人は技術職に長けていったそうです。


 

 この地域で12世紀よりカタリ派等の思想が流行していたのもあり吟遊詩人”トゥルヴァドゥール”たちと伴に奏でられていた楽器はこのカザールの末裔によって発展していきました。”Vyolon”という名前も彼らの言葉”bulan”(リチェルカーレ人)がなまり派生したものと考えているようです。


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 どうやらhaja&Chi工房はこのクレモナを横切る旧ポストゥーミア街道にあるようです。実際は今より数メートル低い所に町が広がっていたようですので元々の道は地下に埋ってしまっています。毎日通っていますが中央公園の前は開けているものの工房の前は今ではカフェと雑貨屋がある静かな小道になっています。

21世紀にはメイン通りではないものの、町の中心をぬける街道。切れている所の上に現在では道はない。





工房のあるvia Felice Cavallotti
町の西側の街道の上を今は、
カヴァロッティ道り、ジャチーニ道りとして延び、



東側にはマッジーニ、ジェローラモ道りとしていき続けています。


古い家の並ぶvia Gerolamo da Cremona
















続く・・